昭和41年01月18日 朝の御理解
昨夜、御祈念が済んでからで御座いました。善導寺の原さんが、そこでお話になっているんですね。昨日、昌一郎さん、御造営の方の出番だった、所がその昨夜、もういくら待って待っても帰ってこん。どうしてじゃろうかと思よったら十一時頃帰って。「どうしてそげん遅うなったなのち、言うたら、また今日はもうここで、御酒を頂いてから帰りがけに、丁度中村清さんと一緒中村清さんと、それから誰じゃったか三人でね、途中でどっか、ラーメン屋にその寄っとったち、そのラーメン屋で清さんがもう誰れ彼れに、もう自分が、その先日自動車強盗に遭われましてからね。
本当にあ、の佐賀の山中をぐるぐるぐる回らされて。そして鳥栖、鳥栖に出て来て、そしてあそこで、六千円の金を取られて、その時のもうそのおかげの感激を、誰れ彼に話さっしゃる。もう、本当に考えてみますと、ようほんにあの鳥栖まで、あの山中から出て来たもんじゃち言うて。その今思うて、その話された。それが、あんた今日はもう朝からずっとあちらに、御造営行ったら来る人ごとにその、又聞く人ももう、そういうおかげ話しですもんですから。
ほうちょいと危ない事じゃったのどう云う様なと聞くし、話す方ももうその話すたんびに、さらな新たな心でその感激その怖かった事いっぱいをですね。もう自分が身震いする様にしてから話されるもんですから。皆さんが一生懸命、その今日はもう充実それけん、あんた清さんのおかげ話しじゃったち言うて帰って来た。そげな訳けで、遅なったち訳なんです。皆さん、それはまあ、おかげ話しです。けど、そのおかげ話しの中から皆さん、色々その解らさして頂かなければ、ならん事があるです。
どうでしょうかね。例えば清さんが、まあ千円がたなら千円がた清さんを乗せてから、乗り逃げされたと致しましょうか、本当にもうろくな奴じゃなかと、どうした事本当にその千円が惜しゅうて堪らんじゃろと思うんです。なんでもなくて、千円乗り逃げされたんだったら。ところがその山中で、その俺は何時も、ここに手の中に弾きを持っとるち。いわゆる、ピストルを持っとると言う訳なんですよ。
して持っとる金ば出せ、お前はガタガタそげん震えよるじゃねかち言うごたる風で、そのずっと脅かされ続けて何時間その自動車走って回って、自動車も沢山乗り回されただけではなくて、最後に金まで巻き上げられてからです。それがおかげ頂いてから有難かった、六千円取られた事が有難かった、これで済んだちいうのが有難かったと、言うてですね。しかも、それが、その朝から晩まで聞く人にです。
本当におかげ話として又、自分もそれを本当におかげ頂いた、その実感を伝えられれると言う事、六千円取られた事が有難かった。どういう訳けだと思いますか。それが何でもない事で言うなら、千円なら、千円乗り逃げされたって言うなら、本当にばからしいこつじゃったと。と言うてその千円がおしい訳でしょう。けれどもです本当に一つ間違えば、命に係るかも分らない様な怖い思いをしてから、その後に六千円で済んだから、それが有難かったのですよ。
それは、それこそ朝から晩まで人にでも聞いて貰わなければおられない程の取られた事が有難かったのですよ。ここん所を一つ分からせて頂きますとですね。私共は本当に一日本当に誰にでも、かれにでもおかげ話しをして来なければおられんと言う、本当の事が、解ったらそう云う事になって来るんじゃないかということです。昨日妹の娘の事で、色々問題があったんです。
話しを聞けば成程問題にしなければならない様な事がある。まあそんな私も下らして頂いてから、そのコタツの所で色々聞かして頂いて何の話しからだったでしょうか。私共の修行時代の話しになった。あの人の父親、やす子の父親になります。妹の婿になりますのが、ここで亡くなりました時なんかは、本当にお棺を作らして頂くとに釘がなかった。ひと握りの釘を借らして頂いた時の喜びと言うものはもう大した事だった。
私が引っぱってお棺を引っぱって火葬場に行った所が、普通のこげなばいたの焚物ですから、こげな物では焚かれんちその隠坊さんが言わっしゃる。所がその時分に私共に割り木なんかがある筈はない。家のもうとに角落ちぶれておる時にはですね。人が例えばひと握りの釘を借してくれても、もう本当にいやいやながらとても喜んで、さあうちの薪を持って行ってくれんのと言うて、言うてくれる人もなかった中にです。
一人だけほんなら家の焚き物をもって行かんのと言うて、ゴロゴロ降ろしてから、その持って出して貰うた時の話しやらをさせて頂いて、話しをしよった。本当にもう考えてみるとね。おかげを頂いたもんじゃある、あの時の事を思うたら、本当にあの時分の事から思うたら、まあ、話すもの聞くものがもう涙流してから、その話したり聞いたりしよる。 この人が、若先生がちょうど小学校へ入学の時だった。
御本部参拝春の御本部参拝をさして頂いたら、丁度私が何時もお話しに行きよる所のグループの方達があの客殿の上で丁度お弁当を開きよんなさった。ああ大坪先生見えたち言うてから、そのまあ一緒に御飯ば、私しはそのい津も頂くもんですから、食べさせようち言うて皆んなが持って来とっとを。今ここでああたの話しよったとこじゃったまあどうぞと言うて私しをそのグループの中に入れてから、その御食事をよばれた。
して帰り掛けにそこの、まなぶさんです。まなぶさんのグループでした。何時も話しする、学さんがこうちり紙あの懐紙に包んで、私に百円帰り何か子供さんに、おみやげなっと買うて行って下さいち、言うてから私に、握らした。私は出掛けに子供に、今度御本部に行ったら、帽子をこうて来てやる話しをした。あのおみやげに。ところが御本部で開きましたところが、とても百円・二百円で買える事、その当時でも買えませんでしたから、諦めて帰って来た。
それから頂いたその百円をもうお金なんか、何時も持ってはいませんでしたから、五十円を帰ってから善導寺の御初穂にさして貰。そしてその五十円を持って、私しが帰って来よったらあの、丹波屋と言う角に呉服屋があります。あすこにほんに帽子をいつちょ聞いてみようと思うて聞かして貰った。所がもう入学いよいよ間近の時分ですからね。あの四月の大祭の頃ですから、あったばってん売り切れてしもうとりますばい。陳列に一つ出とった。あれは小学校じゃない。
あれは小学校のですけれどもあれは、あなたもう陳列に出しとったけ、赤う焼けしちもうちから、あらもう売りもんにはなりませんけんねち。ならちょっと見せて下さい。見せて頂いたら、成程焼けとったけれども、どうもサイズがキッチリなんです。これでよ御座いますけんで、これを分けて下さいち。これならもう五十円でよ御座いまち言うてから、そのあたしの持っておる五十円でそれを買わして頂いて、さあ帰ったらこの人が喜びましてね。帽子を買うて貰うたと言うて喜んだ。
あの時代の事を話しよったら、もう本当にどげん考えたっちゃ、おかげ頂いておるねぇと言う事なんですよ。そう言よりましたらですね。全然それは本当に、涙を流して、はがゆいごたる問題だったんですけども、なあにも問題じゃなくなったんです。通るとこを通らなければいけない事が解るでしょうが、あの時の事を考えたら、その言わば本当に今から行って言い訳の一つでもしようか、今から本当にこちらの気持ちを、どうして解らなさらんとやろうかと、えげつない人だと、例えば思う様な事がです。
そげな事が全然なくなって来たのです。全然問題が無くなって来たんです。私はですねぇ。本当に、この問題と言うものはその信心さして頂いて行けばです。問題が問題で失くなって来ると言う事です。本当の事が解らして頂いたらです。例えばそれを六千円、損になっても、その事が、有難りがどうして堪えん筈のものだと言う事です。しかも、そのお朝から晩まで感激をもって人に、おかげ話しでもさして貰わなければならない程に有難い事なんだと言う事。
本当言うたら私共が頂いておる、おかげの事をそれは佐賀の山ん中をあっちこっち自動車でその回わされて、そしてその恐ったと言う、そのそういうおかげではなくてもです。本当言うたらもっと大きなおかげの中に、私共があるのだと言う事です。信心とはそう云う事がです、本当に解る事なんです。教祖の神様の御言葉の中に、おかげを受けた時の事を思うたら一生が楽だと言うておられます。信心さして頂いてあの時おかげを受けた時の事を思うたら、その後の事は問題じゃ失くなって来るのです。
お互いが、日々信心の稽古をさして頂く所がです、自分の目の前に、起きて来る問題はこれだけは別もののごと思うんですねえ。この事だけはと言う様な事に、きばってくるんです。本当にそれは、その人それだけが、自分の為の問題の様に思うんです。じゃないんですもう皆んな、神様が稽古の材料に与えて下さるんです。そこで、絶えず自分の心の中に、和賀心を頂いておけと言うのです。
和賀心がない時なら、本当におかげを頂いた時の事を思うて見たら言いのです。何時も稽古さして頂いておるんだと、言わば、剣道の稽古なら稽古をさして頂く時にです。あの防具を付けますでしょうもん。それこそ頭を割れる程、叩かれた腹が立つ。けれども、さあ稽古をしておる時に叩かれたならば、痛くもないけれども稽古ですから腹が立たんでしょうが、ほんなもう、喉を息の切れるごと突いた、自分の心突いた。
防具を付けとらんから息の切れるごとあるのですよ。はあ本当に自分が本当に信心の稽古と言う事を忘れてしもとった、防具を付けとらじゃった、本当に何時でも防具だけは付けとかなければ、何時誰からどういう所でピシットやられるか分らん。そん時に受け止め切らんでも、例えば、防具を付けておれば信心の稽古、ああこの事で神様は、稽古さして下さるんだなぁと言う事を、思うたらです。
その事は例えば痛かっても、その後にです、心の底からゆとりも出てくりゃ、有難いものも沸いて来る、皆さんおかげを頂いてですよ。中村清さんじゃないですけれども、本当に誰れかれに今日一日のおかげ話しをしなければおられん程の体験を、その頂きよんなさるとだけれどもです。それを本気で頂きよらんから、それがおかげとして、話されんのですよ。その位いなふめつなんです。熱心なのです。信心の稽古をしておると言うても防具を付けておらんから、痛い思いばっかりせんならんのです。
いわゆる六千円損したとか、六千円盗られたと云う事が、有難うして堪えんじゃないですか。六千円盗られた。これで例えばめぐり、その自動車強盗に遭わなくてもです、ほんに損した。今日は、ばからしい一日じゃったじゃなくてですね。本当の事言うたら、言わばそれが、めぐりのお取り払いかも分からん、有難いお気付けかも分からんのですから。本当に六千円がたの、めぐりのお取り払いを頂いたと言うてです。それを有難い、おかげ話の出来る位なです。
私は前に、考えて御覧なさい、今私が話した事言うのを考えて御覧なさい。そうでしょうが、どうしてこういう難儀じゃなくてその事によってです。防具を付けとりゃ難儀な事じゃないです。そこから、私はそういう痛いなら痛い思いを、その打ち込まれたら打ち込まれた時程、こちらがしゃんとしてです。その事に取り組んで行く事がでけるんですよ。お互いが本当に、おかげを受けたあの時分の事を思うたらです。問題が、皆んな何にも無いと云う位に、おかげの頂ける。そういう心の状態の上に、又次のおかげの頂ける事は間違いない様です。
どうぞ。